第4回西田修平記念陸上競技大会が開催されました。
村上輝選手は陸上教室の講師を務める
10月26日に開催された第4回西田修平記念陸上競技大会で、日本体育施設がユニフォームセカンドスポンサーを務めている竹川倖生選手(丸元産業所属・棒高跳)が出場し、5位に入賞しました。
第1回大会から男子棒高跳に出場してきた竹川選手は、本大会限りで本格的な競技生活に区切りをつける運びとなりました。
当日は、一般財団法人和歌山陸上競技協会専務理事市川貴英様、本大会の協賛社として弊社代表取締役社長の越後より花束が贈られました。
第1回大会から男子棒高跳に出場してきた竹川選手は、本大会限りで本格的な競技生活に区切りをつける運びとなりました。
当日は、一般財団法人和歌山陸上競技協会専務理事市川貴英様、本大会の協賛社として弊社代表取締役社長の越後より花束が贈られました。
第4回西田修平記念陸上競技大会、竹川倖生選手の跳躍
竹川倖生選手のご紹介
竹川選手は、静岡県生まれ。祖父から続く棒高跳一家に育ち、中学より棒高跳に打ち込みました。富士宮北高時代は全国高校総体2位、法政大学時代は日本選手権2位、アジア大会にも出場しました。卒業後は、株式会社丸元産業に所属し、2021年の日本選手権で優勝と棒高跳のトップアスリートとして活躍して参りました。ベスト記録は日本歴代5位の5m70cm です。

Ⓒ高橋学
陸上競技教室
競技開始前には陸上競技教室が開催され、NTSアスリートパートナーの村上輝選手が講師を務め30人近い高校生が参加しました。


西田修平記念陸上競技大会
西田修平記念陸上競技大会は、西田修平氏の栄光を後世に伝え、陸上競技を志す若い選手達へ伝承としていきたいという想いから、開催され、今回3回目を迎えた大会です。西田修平氏は和歌山県東牟婁郡那智勝浦町出身で、1932、1936年の世界大会で銀メダルを獲得された選手です。
友情のメダル
大江季雄選手と西田修平選手は、1936年の世界大会で5時間半にわたって大激戦を展開されます。そして、夜遅く日本の2・3位の決定戦を控えて、大江季雄選手と西田修平選手は、棄権されました。公式記録は2位西田選手、3位大江選手と発表されましたが、翌日の表彰式では西田選手は大江選手の背中を押して2位の表彰台に、自分は3位の台についきました。2人とも同記録の4m25であった為です。帰国後、2人は銀と銅のメダルを半分に切って、つなぎ合わせ、それぞれが持ち合うことになりました。


